■Fall Semester 1977■
前にも言いましたが、今学期に受ける科目は、前の学期が終了する5月初旬に決めて、そして登録していました。
以下がそのスケジュールです。今学期から工学部の科目を取り始めることにしました。
まずCHE101の化学1ですが約600名の学生がこの科目を取っていました。教室は階段状で椅子は扇状に配置されいる大きなホール
でした。教室の入口は学生全員が目に入る位置にあり、私は入り口で空いている席を探すのが習慣でした。ある日ぎりぎりで
教室に入ると殆どの席は埋まっていて、学生の着ている服の色があであかで、まるで花が満開の花壇のように見えたことを
記憶しています。階段状の教室には欠点が有ります。それは、後ろに居る学生が足を私の肘掛けに載せることです。彼らの足は
とにかく臭く授業に集中できません。それから、彼らはよくおしゃべりをします。教室が扇状になっているため、どこに居ても
おしゃべりが聞こえてきます。これもこまったものです。話は脱線しましたが、この化学1には実験も有ります。私にとっては
いやな授業でした。
SPA102のスペイン語2は、前学期の続きの授業です。単語や文を覚えるのは大変ですが、息抜きになるので取って良かったと
思いました。
EAS451は、工学で必要となる計算の方法を教える授業です。力学で出てくる計算をコンピューターで効率的に行う方法を学びます。
更にプロジェクトの提出をしなければなりません。この科目も物理や数学と同じように学生にとって難しい授業の1つになっていました。
もしこの科目で成績Dをとると、工学部で勉強を続けるのが難しくなります。この科目で網羅する内容とプロジェクトの課題は、
以下のようになっています。
私は日本でコンピュータープログラムの経験がありましたので、プロジェクトの課題は問題なくこなすことができました。 クラスにいたアメリカ人(男性)とベトナム人(女性)とでよく授業内容の復習やプロジェクトのプログラム作成をしていました。プログラム作成は 主に私の担当でした。残念ながらそのアメリカ人は良い成績を残せなかったみたいです。ベトナム人はそれなりの成績だった みたいです。ところでベトナムといえば、1974年に南北戦争が終結し南にいたかなりのベトナム人がアメリカに移住 してきました。私もこの大学で多くのベトナム人に会いました。
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