■ちょっと不安な留学のスタートとなった■
1975年8月31日の21:30に羽田からサンフランシスコへ飛び立ちました。最終目的地は、New York州Buffalo市とAmherst市にある
State University of New York at Buffaloです。(参考:この大学は通称Univesity at BuffaloとかUBと言われています。私がいたころは、SUNYABとも言っていました。GoogleでUB North Campusを検索すると大学サイトとが出てきます。また、UB North Campus mapでNorth Campus
の地図が出てきます。)
航空会社は羽田サンフランシスコ間がNorthwest Orientで、
サンフランシスとバッファロウ間(デトロイト経由)がAmerican Airlineでした。
空港までは親戚の方に送って頂き、さようならをして飛行機に乗りました。離陸後
いったいどんな大学だろうと想像していたら、直ぐ機内食が配られました。食事が終わったころ、ないやら機内が
騒々しくなり機長からアナウンス(日本語)が有り、機体に何かトラブルが発生したらしく、羽田に引き返すことになりました。
トラブルは、荷物室の温度計が故障したらしく、羽田でなんとかトラブル回避したみたいです。しかし、
再度羽田を離陸後どうも温度計の調子がよくないらしく、飛行コースを変更しハワイに着陸することになりました。
まだ英語が話せないわたしだったので、これからどうなるのかとても心配でした。ハワイが米国入国地点になり、
何がなんだか分からないまま、4時間後サンフランシスコへ飛び立ちました。心配そうな私を見てかサンフランシスコへ
一緒行くことになった米国人夫婦がホテルのチェックインまで手伝ってくれました。機体のトラブルがなければ
ホテルに泊まらず直接サンフランシスコからバッファロー空港にゆくことになっていました。
ホテルには2から3時間ほどしか滞在しなかったと思います。モーニングコールが鳴って直ぐホテルのロビーに行きました。 ”こっちこっち”と手招きがあったので指示通り空港行きの小型のバスに載せられました。多分、あの米国人夫婦が モーニングコールからバスに乗るところまで手配してくれていたのだと思います。 デトロイト空港を1975年9月1日の8:45に飛び立ちました。そしてデトロイトに到着した後、16:55にバッファロー空港に向けて出発 しました。記憶は定かではありませんが、まだ日の有る内にバッファロー空港に着いたと思います。 空港からタクシーに乗りましたが、行き先が言えなかったので大学から送ってもらった資料(I-20のコピー)を運転手に見せました。到着したのがMain campus (現在はSouth Campusと呼んでいる)にあるNorton Hall(Student Union)の前でした。
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このころあたりはちょっとうす暗くなっていました。私は何処へ行けばよいのか途方に暮れていたら、学生らしい 男が近づいてきて何やら私に言ってきました。何を言ったか解りませんでしたが、私はタクシーの運転手に見せた同じ資料を彼にも見せました。 するとMain campusの南の端にあるTownsend Hallに連れていってくれました。歩いて約10分位かかる距離だったのですが 彼は、私のバッグを持ってくれた上にHallの中にいる係の人に話も付けてくれたのですが、お礼すら言えない私でした。とにかく されるがままに行動するしかありませんでした。
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■Buffalo周辺の有名な観光地とは■
余談ですが、Buffaloと言えばナイアガラの滝に近い町として知られています。以下は私が1975年10月に撮った
写真です。写真の中の車を見ると年代がわかりますね。なにせ古い写真ですのでセピア色になってしまっています。
エリー湖からオンタリオ湖を繋ぐのがナイアガラ川で、その途中に滝はあります。毎年少しずつ滝の位置はエリー湖
に移動しています。
そのナイアガラの滝ですが、大学から車で30分位のところに有ります。滝が近くなってくると、前方にミストが立ち上るのが
見えてきます。それをめがけて進めば滝に到着です。私は、20回ほど滝を見に行きました。10月、11月の紅葉のころのナイアガラが私は好きです。
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