■学生証 (Student ID)■
授業が始まったときに配布されたものの中に、学生証がありました。英語学校が既に学生証の取得を
手配してくれていました。下がその学生証ですが、学生番号は消去してあります。
75 76は、1975年のFall semesterと1976年Spring semesterを意味します。
B551は私のメールボックスです。一人ひとりに手紙が入るくらいの小さなボックスがあ与えられ、組み合わせ
番号で開ける仕組みになっていました。14261は郵便番号、3/31/51は私の誕生日です。
一番したの1から15の番号はsemesterの週を表します。通常、1 semesterは15週間です。
裏面には、クレジットカードと同じようにサインをします。学生証の提示を求められたのは、大学内の
本屋だけだったと思います。それと、カフェテリアでもこのIDで食事をとったかどうかをチェックして
いました。
■クラス■
私のいたクラスには、12名ほどいたと思います。この英語学校はわりと小さなクラスで構成されていました。
私のクラスの半分がベネズエラ人で残りがコロンビア人、チリ人、コスタリカ人、イラン人だったとように記憶しています。
このころ外国人としてよく目立っていたのが、ベネズエラ人とイラン人でした。両国とも石油によって裕福になった
国です。大勢の学生を海外に送りこんでいたのではないかと思います。中南米人の母国語はスペイン語かポルトガル語です。
ですから、クラスではいつも彼らはカントリーのことをコントリーと発音していました。
彼らは、発音の間違いなど全く気にする気配は無く、とにかくよく
口がう動いていました。私は、どっちかというと無口でした。
クラスの全員がまともな英語を話せるわけではありませんが、でもよく会話はしていました。互いにいくら説明しても
相手が何を言っているか理解できないのが殆どでした。何について話をしているか理解できたときは大変喜び、”話が通じた”と感激したものです。
数日たつと他のクラスに日本人がいることがわかり頻繁に会っていました。不思議なもので、せっかく
英語の勉強のために、はるばる米国まできたのに、日本語を話すなってナンセンスと思いでしょうが、
他の国の人々も同類とよく話をしていました。日本人は、私以外に男性が4人、女性が3名いました。男性は、日本の大学を
卒業してすぐ来た人が2名(BさんとCさん)、画家1名(Dさん)、ちょっと素姓のわからない青年が1名(Eさん)でした。
女性の方は、OLが1名(Fさん)、短大を卒業して直ぐが1名(Gさん)、家庭をもったことのありそうなおねーさんが1人(Hさん)でした。
■知り合いになった地元の人■
Red Jacket Quadには、多くの留学生が住んでいますが、米国人も住んでいました。大勢の方々に英語をおそわりました。
彼らに遊ばれることもありました。ある単語を留学生しゃべらせます。すると、その単語が隠語聞こえ大笑いするという
落ちがあります。これも英語の勉強の一環として笑いに参加していました。中には、まじめに英語を教えてくれる人(1年生の女性のIさん)いて
私は大変助かりました。この人は、隣町のRochester から来ていてRed Jacketの別棟に住んでいました。
その人とはこの大学にいる間中大変お世話になりました。同じ科目(数学とゴルフ)を一緒に
取ったことも有りました。これからもこのIさんは数回出てきます。
知り合いになったということではありませんが、ホモの人々に声を掛けられたことが有ります。米国2年目だったと
思いますが、私がNorton Hallで次の授業まで時間を潰していた時、ある人がで私に近づいてきて、
”私は近くの大学で美術を教えている教授で日本の美術に興味が有り君に私の術品を見せたい”
というので彼の家に行ったことが有りました。確かに日本の美術品がたくさん有りました。話をしている内に私の体を触り始めたので、
”授業があるので”といって出てきました。最初からちょっと仕草がおかしかったでした。
ホモの人から電話が掛かってくるときもあります。”私はUBのアドミニストレイションに勤めているものです”というのです。
私は、授業料の払い忘れかまたは単位をおとしたのかと心配して耳をかたむけると、”君は”come”という単語を知っているかい”
と。私はこの時点で隠語の事だと知っていました。そこで私は、"to approach"ですかと伝えると、”違うよ”と彼は長々と
説明してくれるのです。いいかげんにしたかったので電話を切ってしまいました。米国はそういく楽しいところとも
言えます。
■寮での生活の紹介■
前にも少し寮のお話しましたが、ここでは寮での生活を紹介しておきましょう。まず部屋ですが、6人、4人、3人、2人、1人部屋
が用意されています。私は3人部屋でした。そして、一人に対し机、ベッド(マットレスを含む)、6段のタンスが割り当てられて
います。下の写真を見て下さい。フロアーには、洗面、トイレ、シャワーが少なくとも2つありました。そして、
フロアーの真ん中付近にラウンジがあり
料理をしたり食事を取ったりできます。夕食時間になると、よく中国人がラウンジを占領していました。1階には、カフェテリア
、ランドリー、勉強机があります。勉強机は個室風になっているので落ち着いて勉強できますが、勉強道具一式と飲み物を
持ってゆかなければならないので、ちょっと不便でした。2階には、ビリヤードとピアノが有りました。また、メールボックスも
2階に有、夕食が終ると必ずメールチェックしにいっていました。
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