Study Abroad
Sophomore (1977.9 - 1978.8) ..6

■貯金がゼロ■
前の学期(1977 Fall)が終わるころから、私の貯金が底をつくようになり、3回親から1000ドルを送ってもらいました。 1977年11月17日、1978年3月20日、1978年6月8日の3回でした。それ以外にも手紙で1万円札を数回送ってもらったことがありました。 ということで 今学期からはカフェテリアで食事しないで完全自炊に切り替えました。食料は直ぐ近くのスーパーで調達し、米や日本食の 類は韓国人が経営している店で買っていました。私はこのときまだ車をもっていなかったのでAさんに 店まで連れていってもらっていました。米は、25Lbs(ポンド)の袋入りで買います。約11Kgで値段は9ドルでした。この米を LAで買ったら6ドルでした。このころ1ドルが170円位だったのでかなり安ですよね。銘柄はローズと言い、 日系人がカルフォルニアで作っていると聞いています。それ以外に、 少し質は落ちますが、同量の米を2ドルでも買えました。これは、ベトナム系がテキサスで作っているとのことでした。 醤油は、日本の銘柄をスーパーで売っていましたので、それを使っていました。野菜、果物、パン、肉等全てが 日本の価格より数段安く買えることが分かり、もっと早くから自炊していればお金の節約になったと後悔したことを覚えて います。魚も買うことが出来ました。イタリア系やイスラエル系の店屋に行くと魚が買えます。イスラエル系の店屋で 売っている魚は塩でしめてあったので、塩抜きに時間がかかりました。
貯金が無いということで、私は今学期(1978 Spring)の1月から大学の寮のカフェテリアで皿洗いをすることにしました。 この作業は大変きつく着ている服が臭くなります。ですから、上は裸になり備え付けの作業服を着ます。 カフェテリアのシステムですが、ここを利用する学生は、食べ終わるとトレイごと全てをコンベヤーに載せます。 そして私は、まず流れてきたトレイにのっているコップ等のガラス製を取り除きます。ガラスが壊れると手を切る心配があるからです。 次にナイフやフォーク等の金属をとります。その後は、皿の上の食べ残しをシンクの中へシャワーで落としディスポーザルに流し込みます。 ディスポーザルのスイッチを入れると食べ残しが粉砕され下水へ流れて行きます。 トレイもシャワーで綺麗にします。有る程度食器がたまると、自動洗浄機に流しこみます。この作業を約2時間続けます。ピーク時 には息をつく間も有りません。私の場合、この作業は1日1回で朝か昼にやっていました。確か時給は1食付きで2ドル位だった と思います。この仕事は、2週間もすれば慣れてきて勉強に支障を与えることは有りませんでした。皿洗いは今学期のみ で、次からは学科の教授のお手伝いをすることになりました。
カフェテリアで一番手をやくのが、Food Fight(フードファイト)です。何かの切っ掛けで1人がトレイの上の食物(主にロールパン)を 投げると、食事をしている全学生に連鎖します。フードファイトが終わると、床やテーブルの上は食物でいっぱいになり、 カフェテリアとしては大きな損害になります。こんな事が起きるのはアメリカの学校だけだと思います。食物の有り難さと マナーに欠けるとても残念な行動です。

■Summer Session 1978■
この夏は、土木学科の教授の手伝いをしながら2科目取ることにしました。この教授の手伝いですが、Lさんが私を推薦して 頂いたことで得ることができました。仕事の内容は、計算された水面上の波の高さを等高線で表すプログラムを書くことでした。計算では、格子状 の交点で波の高さが計算されていて、その値を使って等高線を計算しプロットすると以下に示すような図になります。

仕事は、等高線に値を挿入しなければならなかったので、その分プログラムが複雑になっていました。プログラミングは 私の得意中の得意の仕事でしたので、まったく問題なく仕事をこなすことができました。仕事は、週20時間で夏の間中 ありました。稼ぎは、下に示すように2週で108ドルと10セントでした。時給にすると、108.10ドル/40時間=2.7025ドルですから 皿洗いよりかは率はよかったです。皿洗いのときも下のようなチェックの控えがあったと思いますが、保存していませんでした。

さて、この夏にとる科目ですが、下に示すように化学2とマクロ経済をとりました。アドバイザーとの話し合いで、 教養科目にマクロとミクロ経済もとることになりました。この夏でまず、マクロ経済を取ることにしました。

上のスケジュールを見ると、毎日2時間の講義と週3回1時間50分の化学実験に出席しなければなりません。私としては、 両科目とも面白くない授業なのでちょっと気が重かったことを記憶しています。下は授業料の請求書です。

成績は、芳しくありませんでした。化学2が最低のDでした。DはOKですから良しとしましょう。マクロ経済は、 Sです。これはsatisfactoryのSでOKで、平均成績に加えられないことを意味します。教養科目に限ってS Grade が認められていました。

以下は、学部長からの手紙です。1978年のSpring Semesterでの成績に対してのものだと思います。このような 手紙がくると来学期も頑張ろうという気持ちになりますよね。

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