Study Abroad
Freshman (1976.9 - 1977.8) ..6

■Blizzard of 1977■
この年の冬は、猛烈な雪と寒さのブリザードに悩まされました。この気候ですが昨年の12月のころから兆候が 有りました。とにかくどか雪の降る毎日でした。私は、うそのような現実を目の当たりにしました。 雪が降る始めて約30分で公共交通機関のバスがストップしました。記録によると、30分で1 footの 積雪があったとのことです。この時私も外にいたのですが、1メーター先が見えませんでした。サングラス をかけていたのですが、顔とサングラスの間に雪が入ってきて目を開けられないのです。 高速道路も完全に閉鎖され、路上に取り残された車は、脱出できなでいました。車から降りて 歩いて助けを求めた人々の殆どが凍死したようです。記録によると、凍死した数は20名ほどとのことでした。 車の中にいた殆どの人々は、助かったもようでした。排気ガスで窒息死した方のいたようです。
私はこのブリザードが始まったときSouth Campusにいました。授業が終わりスクールバスを待っていたのですが なかなか来ません。数時間待ったのち1台のスクールバスが来ました。バスに乗ると、バスの運転手が ”North Campusまで行けるかどうかわかりません、それでも乗りたい人はのりなさい”というのです。 私は、近くに親戚があるわけでのないのでこのバスに乗りました。いつもなら30分でNorth Campusに到着するのですが、 この日は2時間以上掛かったと思います。バスはなんとかNorth CampusのStudent Unionの前に到着できたのですが、 寮までは行けないというのです。いつもなら寮でバスから降ります。Student Unionから寮までは距離にして 通常なら歩いて15分位です。外を歩くことは非常に危険ということは知っていました。けれども 寮に行かなければ夕飯に有り付けません。外気は、既にマイナス20℃に達しているとの情報でした。 私は、胸あたりまで積った雪の中を歩きました。多分30分以上歩いたと思います。 よく覚えていません。途中で意識が薄れて行くのが分かりました。明かりを 頼りに歩き、やっと寮に到着することができました。しばらくして意識がしっかりしてくると、 寮の中は通常通りに何事も無かったかのようでした。しかし、このブリザードは7日位続くことになるのです。 大学は、確か1週間閉鎖になりました。
ブリザードの初日は、通常通りカフェテリアで食事を取ることができました。しかし、次の日から事情が いっぺんしました。物資が寮に入ってこないのです。私は、カフェテリアと契約をしていましたので 食事の心配はしていませんでしたが、自炊をしていた人々、特に中国系の留学生、は雪の中を食糧調達 に行かなければなりませんでした。除雪の情報を聞きながら近くのスーパーに車で行ったみたいです。でも 途中で雪がひどくなると、帰ってこれる保証はありませんでした。
寮のあちこちに置いてある自動販売機も品切れになってきました。すると、誰かがスーパーから食糧を 調達してきて、高値で売っていました。しかし、雪と寒さはだんだんひどくなる一方でした。寮は完全に 孤立した状態になっていました。寮だけでなく周辺の民家も同様な状態でした。寒さをしのぐには、まず 暖房が必要です。寮は電気による暖房でしたので問題無かったように思えたのですが、あまりに寒さに 4人部屋の暖房が不十分で、部屋に置いてあったビール缶が破裂したということでした。また、寮内の 洗面やシャワーに供給している水道管が破裂するという事件も起きていました。 民家の場合、殆どがガス暖房だったようです。中には、ガス代を滞納していると言う理由からブリザードの真っただ中 というのにガスを止められた家族がいたようです。家で凍死したというニュースも後で聞きました。 この凍死は社会問題になり、次の年からは夏に冬暖房貯金と称して夏にデポジットを払うという料金 システムになりました。冬の間のガス代が支払われたら、そのデポジットは利子付きで払い戻しされます。
ブリザードは衰えるどころか段々厳しくなって行くように感じられました。2日目、3日目になると カフェテリアの食事もだんだん貧弱になってきました。カフェテリアと契約していない学生は、 食糧調達がその日の重要な仕事になっていました。そんな中、確か3日目だったと思いますが、街全体に 戒厳令が敷かれました。つまり、指定された車両のみが道路を使うことが出来るということです。 車を走らせると罰則金を払わなければなりません。最初罰金は確か50ドルだったと記憶していますが、 その後500ドルなったと思います。とにかく雪、風、寒さは厳しきなる一方でした。
Red Jacketの別棟にいたKさんから”食糧が無くなったので買い出しに行くのを手伝ってくれないか”と いう連絡をうけました。Kさんカフェテリアと契約していないので自炊していました。車を出せないので 近くのスーパーへ歩いて行くことになりました。歩道は除雪してあるので歩くには問題ありませんでした。 スーパーまでは少なくとも4Kmはあります。雪が少し弱くなったのをみはからって出かけ、なんとかスーパー には到着することができました。スーパーもかなり品薄になっていたようでした。ところが、 買い物が終わるころには、いつもの激しい雪と風になっていました。待っていては帰れなくなってしまうので、 雪の中に突入しやっとの思いで寮に帰りつきました。命がけの買い物でした。
ブリザードは、約7日で終わりました。もっとだったかもしれません。私はというと、毎日勉強に 明け暮れていました。私にとってはブリザードは1週間の休暇のようなものでした。下にブリザードの写真を 付けておきますのでご覧下さい。また、Web検索で "Buffalo 1977 blizzard" と入力するとブリザード の凄まじさを御理解して頂けると思います。

除雪したのにまた雪
轟音が聞こえてくる
除雪で高々と積み上げられた雪


寮への出入り口の道路

あまりインパクトのある写真が無くてすみません。皆様は、Webサイトで詳細を見て下さい。また、Webサイト には動画および当時のラジオ放送を聞くこともできます。皆様も新天地にいったら思いがけない事件や事故に 遭遇するかもしれません。その時は、常に最善な選択が出来るように心がけて下さい。

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