■1980 Spring Semesterの終わり■
この学期は、アリゾナへ行く準備とビザの申請で忙しく、瞬く間に終わってしまいました。成績は、多分3科目ともA
だったと思います。アリゾナ大学(University of Arizona)からは、大学院への正式な承認の手紙がI-20と一緒に
届きました。
私は、この5年間一度も日本へ帰っていませんでした。帰ろうと思ってもお金がありませんでした。しかし、TAの
お陰でお金に少しの余裕ができましたので2ヶ月間日本へ帰ることにしました。出来るだけ安く帰りたいので数ヵ所
の旅行代理店へ電話した結果、非常に安いチケットを買うことができました。Buffalo, Toronto, Vancouver経由
成田行きが往復で530ドルでした。このころレートは多分170円/ドルでしたので9万円位でした。高いところでも
12万円でした。
5年ぶりに帰るのでかなり日本は変化しているに違いないと思いながら、Vancouverを出発しました。機内で
リラックスしていたところ、急に涙が出てきて止まらなくなりました。その時、もうアメリカには帰ってこない
のではないかとふと思っていました。5年間も住むとhomeという感覚になるのですかね。
日本に着いて2〜3週間は時差ぼけに悩まされると思いましたが、まったくその気配はありませんでした。日本から
アメリカの場合は、ひどい時差ぼけに悩まされました。人から”このようにすると良いよ”と時差ぼけ解消方法
を試しますが、まったくだめでした。これまでの私の経験から、人の頭の中には生まれた場所のHome時間が有り、
そのHomeに戻ってくると問題なく行動出来るようになっているのではないかと思います。
日本で時間を過ごした後、再びBuffaloに戻ってきました。そして、荷物をまとめてArozonaのTucsonへ
向かいました。荷物は、50cm×50cm×60cmの段ボールに10箱分だったと思います。UPSで送りました。
そして、極寒の地から灼熱の砂漠への出発です。
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